国立大学・公立大学の付属中学校高校に関しては、教育系大学や大学の教育学部に付属する中学校高校が圧倒的に多いのが特徴。
(高)東京・文京区大塚【女】
(中)東京・文京区大塚【共学】
*お茶の水女子大学附属小学校
*お茶の水女子大学附属幼稚園
高校は女子校だが、幼稚園・小学校・中学校は共学。
下記高校はいずれも付属校でありながら筑波大学への特別な内部進学枠はない。
(高)東京・文京区大塚【共】
(中)東京・文京区大塚【共】
(小)東京・文京区大塚【共】
(中高一貫)東京・世田谷区池尻【男】
(高)埼玉・坂戸市【共】
(中高)東京・練馬区東大泉【共】
2007年4月1日、もともとは別々の学校であった東京学芸大学附属高等学校大泉校舎と東京学芸大学附属大泉中学校が統合・再編する形で開校。
*新入生のうち大半は隣接する東京学芸大学附属大泉小学校からの内部進学。
(小)東京・練馬区東大泉【共】
以下は小中高一貫体制をとっていないため、【高校】【中学】【小学校】の順に記載する。
【高校】
(高)東京・世田谷区下馬【共】
【中学】
(中)東京・世田谷区深沢【共】
(中)東京・小金井市貫井北町【共】
(中)東京・文京区小石川【共】
【小学校 幼稚園】
(小)東京・世田谷区深沢【共】
(小)東京・小金井市貫井北町【共】
*東京学芸大学附属幼稚園小金井園舎(幼)東京・小金井市貫井北町【共】
(小)東京・文京区小石川【共】
*東京学芸大学附属幼稚園竹早園舎 (幼)も上記HP
(中)神奈川・横浜市南区大岡【共】
*2009年4月から光陵高等学校(県立)と連携し、一種の中高一貫教育を実施(ただし国立と県立という違いがあるためどのような中高一貫教育になるかは不透明)。
(小)神奈川・横浜市中区立野【共】
(中)神奈川・鎌倉市雪ノ下【共】
(小)神奈川・鎌倉市雪ノ下【共】
(高)京都・京都市北区小山南大野町【共】
(中)京都・京都市【共】
(小)京都・京都市北区紫野東御所田町【共】
(中)京都・京都市伏見区桃山井伊掃部東町【共】
(小)京都・京都市伏見区桃山筒井伊賀東町【共】
(高)大阪・大阪市天王寺区【共】
(中)大阪・大阪市天王寺区【共】
(小)大阪・大阪市阿倍野区【共】
(高)大阪・池田市【共】
(中)大阪・池田市【共】
(小)大阪・池田市【共】
(高)大阪・大阪市平野区【共】
(中)大阪・大阪市平野区【共】
(小)大阪・大阪市平野区【共】
(幼)大阪・大阪市平野区【共】
大学は女子大だが、小中ともに共学であることに注意。
(中)奈良・奈良市東紀寺町【共】
→全国に4つある国立系の一体型中高一貫校(=中等教育学校)のひとつ。
(小)奈良・奈良市百楽園【共】
下記のうち神戸大学附属中等教育学校は、全国に4つある国立系の一体型中高一貫校(=中等教育学校)のひとつ。
(中高)兵庫・神戸市東灘区住吉山手【共】
*神戸大学の附属学校再編計画に伴い2009年(平成21年)4月1日に創立。神戸大学発達科学部附属中学校であった住吉中学校・明石中学校が再編された。
←従来の住吉校舎に中学高校の機能を集約。
(小)兵庫・明石市山下町【共】
*神戸大学の附属学校再編計画に伴い2009年(平成21年)4月1日に創立。神戸大学発達科学部附属中学校であった住吉小学校・明石小学校が再編された。
←従来の明石校舎に小学校の機能を集約。
■広島大学附属中学校・高等学校
(中高)広島・広島市南区翠【共】
■広島大学附属小学校
(小)広島・広島市南区翠【共】
■広島大学附属東雲小学校・中学校
(小中)広島・広島市南区東雲【共】
■広島大学附属福山中学校・高等学校
(中高)広島・福山市【共】
■広島大学附属三原学園(中学校・小学校・幼稚園)
(幼小中)広島・三原市【共】
(小中)福岡・福岡市中央区西公園【共】
(小中)福岡・久留米市南【共】
(小中)福岡県・北九州市小倉北区下富野【共】
帝国大学は、日本の最上位の国立高等教育機関および研究機関として設置。各帝国大学は、前身となる高等教育機関を包摂して改組・改称、学部を新設したりするなどしてその組織を整備し、時代が下って帝国大学以外に単科大学などが設置される中でも日本の高等教育や研究をリードした。戦後は「帝国大学」との名称を廃し、日本で有数の総合大学となっていった。
旧帝大を除いて、戦前から官立、つまり国立の大学として存在していた大学。
これらの大学の前身機関は、それぞれ高等商業学校から大学令による大学へと昇格した東京商科大学(旧東京高等商業学校))、神戸商業大学(旧神戸高等商業学校)、大阪商科大学(旧大阪市立高等商業学校)。
旧三工大(きゅうさんこうだい)は、旅順工科大学、東京工業大学、大阪工業大学の、3つの工業専門の旧制大学を指す言葉である。単に「三工大」と呼ぶこともある。
旅順工科大学
*旅順工大は太平洋戦争最末期の1945年9月、ソ連対日参戦の際にソ連軍に接収され廃校。
東京工業大学
大阪工業大学
大阪工大は1933年に大阪帝国大学(1931年に府立大阪医科大学から昇格)に統合されて大阪大学工学部に改組。
*現在大阪工業大学という名称の私立大学が存在するが、旧制の大阪工大と直接の関係性はない。
第二次世界大戦前、この2大学は日本で2つだけの文理科大学として機能していた。
戦後の学制改革に伴い、それぞれに附属する高等師範学校、およびその他の学校を統合し、東京教育大学、広島大学となって、日本の教育界の総本山となった。
東京教育大学は筑波大学開設にともなう移転により学部組織が解体されたため教育界への影響力は落ちたとされるが、広島文理科大学と広島高等師範学校の後身である広島大学文学部、理学部、教育学部は依然として西日本における教育学の総本山であり、教育界において強固な学閥を持つといわれている。
前身が医学専門学校であり、1919年(大正8年)施行の大学令により、1921年(大正10年)〜1925年(大正14年)に医科大学として認可。
官立の旧制医学専門学校を元にこの時期に医科大学となった6校、および、公立の旧制医学専門学校を元に公立医科大学となった後、この時期に国立大学に移管された2校(広島・鹿児島)を合わせて「新八医科大学」(略称:新八)と呼ばれている。
第二次世界大戦後、旧制医学専門学校を前身として、国立学校設置法施行前に設置された官立の医科大学が存在する。これらの大学は、官立大学官制(昭和21年勅令第206号)を改正することにより設置されたため、官立大学に分類することもある。しかし、設置の時期や経緯が戦前に設立された官立大学と異なるため、これらの大学の後身校は大学群としての旧官立大学には通例含めず、新八医科大学に分類する。